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はじめまして。地方出身で、国立大学の教育学部に通う20代です。
このブログでは、フィリピン留学、オーストラリアでのワーキングホリデー、東南アジア一人旅の経験を、包み隠さず書いていきます。まずは、なぜ私が大学を休学してまで海外に出たのか。その理由から自己紹介させてください。
出発点は「英語が話せない教員」の卵だった
私はもともと、英語の教員を目指していました。
ところが出発点の英語力は、正直ひどいものでした。TOEICは500点に届かず、大学の英会話の授業では一言も話せないくらい。教員を目指す人間としては、かなり厳しいスタートです。
大学受験では1年浪人をして、教育学部に進みました。それでも、英語が話せないまま教員への道を進んでいました。
教育実習で見た、数年後の自分の姿
転機は教育実習でした。
実習先で見たのは、英語を話せない教員が、帰国子女のいるクラスで難しい英語の質問を次々に投げかけられ、困っている姿です。生徒の質問は、まるでいじめのようにも見えました。
そのとき私が感じたのは、「かわいそう」ではありません。怖さです。
あれは数年後の自分の姿だ、と思いました。英語が話せないという実力のなさを、教員という肩書きでごまかしながら、この先何十年も教壇に立ち続ける。想像しただけで、恐怖でした。
同時に、正直な気持ちもありました。この先一生、教員として生きていく覚悟が、自分にはまだできていない。それも事実でした。
だから私の休学は、きれいな「挑戦」だけではありません。ごまかすのをやめたかった気持ちと、教員の道から一度離れてみたかった気持ち。その両方でした。
休学して出た先で、起きたこと
私は大学を休学し、海外に出ました。
- オーストラリア・メルボルンで約1年のワーキングホリデー(ドライバーや倉庫の仕分けの仕事、5カ国の人と暮らすシェアハウス生活)
- フィリピン・セブ島で2ヶ月の語学留学
- タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスを約2ヶ月かけて一人旅
仕事探しはすべてネット経由で、レジュメを手渡しで配ったことは一度もありません。職場では、立場の違うスタッフ同士の対立を、マネージャーに相談して全員で話し合う場をつくるところまで経験しました。
一番変わったのは、英語への考え方
海外に出て一番変わったのは、英語力そのものよりも、英語への考え方でした。
出発前の私は、完璧な英語を話そうとしすぎていました。でも実際に海外で生活すると、完璧な英語を話している人の方が少ないことに気づきます。英語は、正確さを見せるためのものではなく、伝えるためのツールでしかない。
そして、国籍も文化も違う人たちと生活する中で、「否定しないこと」の大切さを学びました。育った環境が違えば、当たり前も違います。それを否定せずに受け止めることが、コミュニケーションの土台なんだと分かりました。
今の私と、このブログについて
帰国後、私は大学に復学し、教員免許の申請もしました。
ただ、卒業後はすぐに教員にはならず、まず大手IT企業で社会人として働く選択をしました。就職浪人はしませんでした。教員に決めきれていなかったからこそ、新卒を残しておきたかったからです。「将来は教員になりたい」という気持ちは今もあります。でも、その前に社会で多くの経験をして、英語の知識だけではなく、自分が経験から得た知見を深く伝えられる教員になりたい。そのための寄り道だと考えています。
このブログは、その寄り道の記録です。
- 英語が話せなくて、教員になるのが怖かったこと
- 留学とワーホリに、実際いくらかかったのか
- 海外で働いて見えた、日本と海外の仕事観の違い
同じように「英語ができないまま将来を決めるのが怖い」と感じている人に、少しでも参考になればうれしいです。
この記事の確認記録
- 筆者:記事の内容は、筆者本人の留学・ワーホリ・一人旅の経験をもとにしています
- 内容の最終確認日:2026年11月1日
- 一次情報の出典:筆者本人の経験(2025年のフィリピン留学、オーストラリアでのワーキングホリデー、2026年の東南アジア一人旅の記録)
- 誤りが見つかった場合は、本文を修正し、この記録も更新します

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